羽生結弦がすごい事やってのけたので久しぶりにブログを書くよ!〜NHK杯 2015
N杯、羽生選手のSEIMEI、見返してみると4回転の直前まで振付が入ってると思う。どのジャンプもほとんど助走を感じさせず、それによって力みや準備を感じさせない。ジャンプのランディングは大きく流す事で雄大に見えたり、かと思えばコンボのセカンドジャンプを直ちに飛んで見せたり、おかげさまでこのプログラム、緩急自由自在。ホップするかのように飛んでしまったセカンド2Tの軽やかさ!これを見せる為には、ジャンプがきちんとコントロール出来いないと無理、なわけで…(だよね?)当然、助走からランディングを含めてのジャンプだから、スケーティングの質も良いって事じゃないのかな。
前半のフライング足換えコンビネーションスピンは最初こそトラベリングしてるようにも見えたけど、アップライトで天を仰ぐのは、まるで落ちてきそうな天を受け止めんとするようだし、そこからの姿勢の変化のナチュラルさ。男性には難しい体勢のドーナッツやビールマンは、たおやかでまるで女性性をみせているよう。どの陰陽師か忘れたが、晴明が女装するような話もあったと思うのだけど。一般的に男性には難しいとされる柔軟性が必要なポジションは、男性性と女性性を内包するような、晴明の神秘性を表現するに充分だと思う。
ステップは、練習映像見ると、体を大きく優美に動かしてこそ映えるステップだとわかりました。(すんげー優美に、大きく強く動いてた)
つまり、大変、って事。
この構成で、そんなステップ…シェイ・リーン(振付)、あんた鬼ですかそうですか。強く打たれる太鼓の音は、リズムを明確に見せてしまうわけで、それをはずさず、足元はステップを踏んで進み続ける。大きく強い音を表現するような大きな体の動き。我らが晴明は、強い決意を持って歩みを進めていくかのように、エッジにのって左右に体を傾けたりランジ(でいいのかしら)で上下の動きをつけたりして、進んでいくわけです。そうやって、太鼓のリズムの強さに厚みを加え、流れるようなメロディを融合させていくわけです。
*紅天女のテスト「水」でマヤが演じた龍神のこと。滝の裏からこの世のものとは思えない声を発しながら出てきて、ほとんど動かないのに周りの人全員を圧倒した。巻数を重ねてからは、時々思い出されたように出される、マヤの「ドジっ子」エピソード付き。37巻。
(個人的には,練習の映像が心に残っていたのでもっと大きく!ランジもっと沈み込んで!と思いかけたけど、多分無理物理的に無理超すみませんでした;;;;;ていうか十分大きく動けていると思う)
プログラム全体を通して、ほとんど疲れを感じさせずに、技術難度的には余裕すら感じた。難しそうにやってるとこがひとっつもなくて。全ての要素が、SEIMEIを表現するマスターピースとして組み込まれていると思った。
特に、最後のルッツを降りてからは圧巻で、実はそのちょっと前、本当にこのプログラム比で、あ、そうだった、フリーって疲れるんだった、って事を思い出させる部分もあったのだけど(とはいえ、演技にはほとんど影響がない、主観といってしまえばそれまでの。そしてそれによって逆説的にプログラムの難易度やそれでもなお表現が全く崩れてない事に驚いたのであった…)、そこからはむしろパワーが増したような。フライングの足換えコンビネーションのしずみこむ姿勢から、足を換えてさらに早くなる回転は、静かに、そして力強く、パワーを取り込んでいるかのようで。一歩一歩、エッジの軌跡から何かが立ち上り、やがてリンク全体がそれに包み込まれるような、コリオシークエンス。力をこめて、踏みしめるような、それでいて一歩が大きくて進むから、疾走感も流れもある。
テレビ越しですら圧倒されたのだから、会場の人はいわんや。
そしてその「圧倒」こそ、都に救う鬼を追い詰め、「圧倒」した晴明ではないか。
しっかりとした技術にがあるからこそ、生まれた表現で、これを、表現力と言わないのなら、何を表現力というのだろう。
少なくともフィギュアスケートは、その技術(質も、難易度もすべてにおいて)を発展させていて、そこには、ここまでの全ての選手と、関係者が関わっていて、だからこそ、こういった「表現」が生まれるのだ、と思いました。ありがとうありがとう。フィギュアスケート、マジ尊い。
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