君の7分間

彼女のファンとして,思ったより,ショックは受けていない。
ジャンプ全て、最悪の失敗をして、55点代。16位で折り返す,彼女のオリンピック、集大成と決めた,ショートプログラム
スピンとステップのレベル認定も辛いから、なかなか厳しい闘いではあるけれど,それでも、これで、明日の4分間は,彼女がもっと自由になれるんじゃないか,と言う気すらしている。どうだかわかりませんけれど。なんだかやっと、彼女が持つ4分間を,彼女自身に返してあげられるような,そんな気分。本当はいつだって,それは,彼女の手中にあったのだけど。
メディアがどうとか、重圧がどうとか、そんなことを言っても仕方がないのはわかってるし,恨み言を並べるつもりもない。彼女に集中するメディアの煽りや言葉に文句を言う体で,彼女を貶める言葉だって随分見かけたが、もう、どうしようもない。本当は,そんなもの、彼女がなんとかすべき問題ではないのだけど,彼女や、彼女の周囲がなんとかするしかない。
それを思うと,ファンとしては胸が痛むし,いい加減な煽り文句や,それを受けた手前勝手な心配や期待に,やきもきさせられたりイライラさせられたりしたけれど、イライラややきもきは私の問題だ。そのイライラを元に、あんな奴ら,見返してやれ,とか,胸がすくような成功を見せてほしいとか,随分わがままな期待をしていたものだ。でもそれも、全て,私の問題だ。

浅田真央の7分間は,浅田真央のものだ。
何を当たり前の事を,と言われるかもしれないが。
私たちファンが,ファンじゃない誰かが,いくら心配しても不安に思っても,期待しても祈っても,でも、それは、浅田真央のものだ。
好きにしたらいいと思う。どうとでもすると思う。

とはいえ、私は,ただのファンだから,浅田真央の成功を祈ってしまうし願ってしまうし、今の彼女の気持ちを想像すると,胸が張り裂けそうな気持ちにもなる。なるのだけど,同時に,浅田真央のスケート人生に,こういう日が,あっても,いいんじゃないかと思ってる。仕方が無いじゃん,って思ってる。
「残酷な日」だったように思えるけれど,その残酷な一日だって、彼女が歩むスケート人生の「ある日」に過ぎない。その、たった一日で,彼女の歩んで来たスケート人生が「台無し」になったりはしないと思うから。

浅田真央が、ここまで、特にこの4年間、充実した練習をして、いい先生に恵まれて、いい仲間がいてって言う価値は変わらない。だからこそ今日のこの日は残酷だった、という見方ももちろん出来るとは思うけれど、でも、本当はその価値、何も変わってないと思う。

佐藤先生が「まるでデート。こっちが緊張する」なんて口にして一緒にランチしてくれて、全日本の後に,三人で肩を組んで歩けるような仲間がいて,「彼女がいたから強くなれた」と互いに口に出来るライバルがいて,今日のような日に,沢山のスケーターが「真央がんばれ」って言ってくれる。そう言う事の、価値。そういうものは、見失うことはあっても、そこにある,もの。その事実は,なくなりようがないもの。

フィギュアスケートって面白いな,と思うのは,そういう、スケート人生と言うか,積み上げて来た価値,みたいな物がPCSに現れる気がするって所です。もちろん、厳密にはそうじゃないです。誰に比べて高いからいい、という話でもありません。上記のような充実した環境をつくりあげて、そこで、手に入れて来たもの。選手が,その選手比で取り組んで、手に入れて来たものをなんとかかんとか数値化しようとする努力ーそしてそこに、価値がある、と見いだしている、フィギュアスケートと言う競技が,私は好きです。

明日,楽しんでほしい。どういう演技になっても、ファンの私は,がっかりすることなんか、ない。
浅田真央のオリンピック。栄光も,失敗も,嘆きも,悔しさも苦しさも,すべて、浅田真央のもの。浅田真央だけのもの。

(一応言っておきますけど,愛されてる選手がPCSが高いとかそう言う話でもないですよ。充実した選手生活・練習の中で手に入れたものに価値を見いだす,その為の数値化が成功しつつあるのではないか,と言う事です)