自問自答ファッションのもぐら活動:シャツをめぐる冒険①

このお話は、私が、あるシャツについて想いを巡らせた話です。コンセプトはどうなった?靴の試着は?というお話は一旦置いておいて、書き留めておきます。何回か続きます(たぶん)

帰路に着いたはずだった。自宅へと向かう乗り換えの駅に停車した電車の扉が閉まる。このままこの電車に乗っていれば、”あのシャツ”を取り扱うお店に行けるな、と気がついたのは、電車の中でだった。私はぼんやりと、午前中に試着した白色の”あのシャツ”に着いて考えていた。

初めてブランドの名前を知って、検索。「新作」として紹介されていたシャツに目を奪われた3月。「ついでがあるし」と足を伸ばし、発売直後の店舗で、”あのシャツ”の黒色を羽織らせてもらった。試着ではない。試着をする勇気は出なかった。さっと羽織って、ふむふむ、かわいいですね、でも、私じゃあ着こなせない気がします、そんなことないですよ、とっても似合っています、いやいや、こんな素敵な服、私が着るのはもったいないです。

それから2週間。あの服は、もうないだろう。その時点で、入荷はこの一点のみです、と言われたし、この週末で売れてしまうと思います、というのが店員さんの見立てだった。

その日私は、ちょっと落ち込んでいた。新宿の伊勢丹で靴を見よう、という日だった。


受けたのは、事前に連絡をして、足のサイズを測ってもらって、靴をお薦めしてもらうサービス。店員さんはとても親切で、知識も豊富で、話を聞くのはとても楽しかった。ところが、私の伝え方が悪かったのか、いつの間にか「冠婚葬祭用の靴」をメインで進められる状況となっており、これがもう、本当に楽しくなかったのだ。

私としては、好きなタイプの靴は事前に伝えてあったし、計測をしてもらった上で、合いそうなブランドやおすすめを見せて欲しい、と言う気持ちだったのだけど、最初に「パンプスはいかがですか」と勧められ、パンプスだったら、冠婚葬祭用に使えるものですかね、と言ったせいだ。私の伝え方が100%悪い。

私の足は、肉が着いているので、細身で肉感を拾う靴は靴の形が変わってしまう。踏み込むたびにべたっと広がり、靴のラインを変える。足首もない。だから、つま先や靴全体にボリュームがなければ、到底好きなシルエットにはならない。でも、その日持ってこられるものはほとんど、て言うか全て、そのコンプレックスをグイグイと抉ってくるものだった。当たり前だ。「冠婚葬祭にも履けるもの」と言う目的が重視されているのだから。

そんなわけで、終わるころにはいろんな靴を履いてみたい、自分が好きで、似合うと思える靴を見つけたい、と言う気持ちはすっかり萎えてしまい、私はもう、自分の足を見るのも嫌、と言う思いだった。「履けはするけど、全く好きじゃない」ばかりを試したせいか、このデパートの中にある靴が、どれも自分には似合わないもの、のような気もしていた。そんなわけ、ないのにね。

だから、”あのシャツ”を扱うブランドの名前を目にした時、なんだか吸い込まれるように入ってしまったのだった。

あの、美しいシャツはあるかしら?

自問自答ファッションのもぐら活動:「私」のコンセプトを考えようとして、堂々巡りしている話

あきやあさみさんの「一年3セットの服で生きる 「制服化」という最高の方法」を読んで、じゃあ実践してみよう、とするなら、まずはコンセプト作りなわけだけれど、これがまあ決まらない。

思考があっちこっちにいってしまい、自分が何をどうしたいのかわからない。なんとなくイメージは掴めそうなものの、今持っている洋服のイメージにも引きずられているような気もする。だいたい「何をしているかわからない人」とかトンチキ寄り。なりたいか?私、本当にそれに?

完全な自習だけでは、やっぱり方法が間違うこともあるだろうし、客観的な視点が持てないのも不安だ。コミュニケーションの中でわかること、もいっぱいあるな、と思う。

ああ、「自問自答ファッション講座」をもっと早く知っていれば。いや、知るには知っていたんです。元々、PATTERIE※さんのファンだったので。その経由で活動はチラ見していたはずなんです。なのに「ファッション講座」というだけで、私には無関係なもの(サイズの問題。「私が聞いてもな」)と思ったのだった。
悪いのは、太っていることじゃないねえ。そこに宿る卑屈な心だねえ…と反省……する必要は全くないよね。そもそも、太っていることに付属するイメージの悪さ、痩せていることを美の基準とするような社会のあり方がおかしくて、そんな価値観にどっぷり浸かってきたら、そりゃ卑屈にもなりますわ。ゆえに反省の必要はなし。私のせいじゃないやい。

とはいえ、自問自答していれば避けて通れないのが、私が、私の体と付き合っていく、という問題です。私の体は、私以外の入れ物にはならないし、来たる未来に、変わっていく何か、を想定するのは、あまり意味のないことのように思います。私の中に燻るルッキズムとも対峙していかなければならないでしょう。……真面目か。生真面目か。

そう、わたくし、コンセプトを考えていくうちに気がついたんですが、自分にとって、ああ、外せない、と思った言葉が「真面目」でした。「真面目」を笑うということが本当に苦手だし、真面目であることを美しいとも感じる。世間には「真面目」が誤解されている、とすら思っている。

あれ、これ、自問自答の方向、合ってる?試着の旅にでられる?コンセプト決まる?

次回、試着の旅に行くかもね。行かないかもね。いかない気がするね!
その過程は記していければいいな、と思っています。できるかな。どうでしょう。

※刺繍アクセサリーを制作するデザイナー・PATTERIEさん。
私がPATTERIEさんを知ったのは、2010年台の布博だった、と思う。以来、オンラインもポップアップも利用し、カラフルな刺繍アクセサリーを集めています。お世話になっております。PATTERIEブースにいらっしゃる皆さんは、おすすめ上手の正直ものたちばかり。こっちのワクワクと似合うを絶対に見逃さない。まさにこの本にも通ずるところがあるよね…。

入院の準備中、見に行った好きな刺繍作家さん、もPATTERIEさん。

littlestory.hatenablog.jp

写真は多分、myファーストPATTERIE。たぶん…おそらく…(記憶力に問題が)。

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