もしかしてこれって術前の検査だった?

Cakesで連載されているお悩み相談がDVに悩む女性を「嘘・大袈裟」と決めつけ公開する、というもので、あまりにもガックリきたので、同じ会社のサービスであるnoteに何かを書き続ける気力が失せてしまった。そして、迷った末、日記をはてなに移しています。

あの相談が、嘘か本当かは心底どうでも良くて、ただただ「DVの相談」を晒して、これは嘘だろう、大袈裟だろうと断定する行為をお悩み相談でやるということが、何を生むのか。その加害性を、誰も考えなかったんだろうか。公開している以上読者がいるわけで、似たような状況にある救済が必要な人から言葉を奪い、結果的に殺す行為となる、なんてことは。

あれを見て、絶望する人がいるだろうってこと。それは、間接的に誰かの首を締め続けるってこと。(現在は、取り下げられ、謝罪も出ています)。

大体、誰かの相談を嘘だ大袈裟だ、と断定するのは、聞き手側の問題である。予断を持って話を聞いている、ということだから。語り手が嘘をついているのか、大袈裟に語っているのか、という問題とは全く関係ない。それを目撃する第三者(読者)が何か言うなら、そのことをちゃんと理解しておくべきではないだろうか。

しかし、あれだけ手札の揃った相談者による被害の訴えが、善良であるが故にその言葉を疑い、冷静で、客観的なつもりの人たちによって追い詰められていくのだから、そりゃあ多くの暴力は、暴言は、攻撃は、加害は、明るみに出ないし、「なかったこと」にされるよね……。

私たちは、きっと、思っているよりもずっと多くの被害を「大したことないんじゃない?」「大袈裟なんじゃない?」「あなたは被害者じゃないよ」ってスタンスで聞いてしまっているのでしょう。

「中立」の軸がずらされていることに気が付かず、誰かの痛みを見逃し、自分が得ている情報が全てだと思い込んで「フェア」「公平」「客観的」なつもりでジャッジする。そう言うことを頻繁にしているのかもしれない、と思いました。 


そもそも、外野から見て嘘だ・大袈裟だと思えるほどのことがそこで起こっているかものだとしたら、最初に出てくる言葉は「そんな大袈裟な」「勘違いじゃない?」であってはいけない。


凪いだ海に、石を投げることは怖い。でも、石を投げた人にとって、その海はずっと荒れていて、SOSのつもりで石を投げたのです。なのに、「海が荒れていること」を信じられない人は、石を投げた人が海を荒らしたのだ、と思うのでしょう。
 

何故、こんなに色々考えたかと言うと、ちょうど病気のことがあったからです。病気のことを書くことで発生する(かもしれない)「大袈裟」と言う評価について、それに予防線を張ってしまう自分について、考えていたからなのでした。

私は、SNSでは、痛いの辛いのと騒ぐことはできるけれど、なかなか近くの人にそのことを言えませんでした。「大袈裟だ」と言われるのが怖かった。SNSで言う時だって、「痛い・辛い」と騒ぐのと「大袈裟だって自覚してますよ〜」って口にするのはセットでした。医者にすら、それを伝えるのは怖かったです。痛い時や辛い時に「その痛みや辛さは大した問題じゃない」と言われるのは、継続している痛みや辛さと向き合い続ける力を奪われることだったので。でも、それ、できればすっぱりとやめよう、と思って。「大袈裟と感じてしまう人の気持ちを理解する」と言うことは誰かの病気を「大袈裟と考えていますよ」ってメッセージになりうるから。自分の中にある、そう言う連鎖を、断ち切る必要がある、と思いました。それで、書いています。

 

さてMRI。噂には聞いていたが、あまりにもしんどくて途中でギブアップしてしまった。まず、膨れたお腹にカメラを載せられた時点で、お腹と腰がみりみりと音をたてたような気がした。激痛、と言うのではないし我慢はできるが「い…ッ…痛い…」と言う感じ。でもここでやめるわけにはいかないし、15分だって言うし。

下腹部の撮影が終わって、みぞおちあたりからお腹全体にカメラを乗せられてからが痛みのクライマックス。お腹をぎゅうぎゅうと押され続けて、腰がみりみりと音を立てるような感じ。重い荷物を支える一本の棒になったような心持ち。経験上、体勢を変えれば少し落ち着くのはわかっているが、動いてはいけないと言われてるので、声を出したり息を吐いたりすることで我慢。ここまでやったんだから、ここまでやったんだから、あとちょっとあとちょっと、と唱えながら我慢したが、いつまでかかるのかが見えず気がついたら「何かあったら握ってください」と渡されたポンプ状のものを思いっきり握っていた。

結果的には、2/3は撮影できているから、これで診察しましょう、と言う話になる。体勢を変えないまま、残り1/3か…と思わないでもなかったけれど、その話を聞きながらも体が動いていたので、無理だったんだと思う。

お腹の膨らみがなくなれば、また、子宮筋腫由来の腰痛もあるだろうから、手術後、別の機会でMRIを撮るときはきっと問題なく撮影できるに違いない…と思いたい。(人生で撮影することもあるでしょう?)

音や閉塞感自体は平気だった。そもそも、狭いところが割と好き…。