カロリーナのユーモレスクについて書こうとしていた
あの可憐さをblogに残しておきたくて、写真を探しているうちに、あれよあれよとフランス杯が終わり、ロシア杯がおわり、GPFまで終わってしまいました。来週、全日本だって。どうしよう!?どうしようもないが。

カロリーナのユーモレスク、素晴らしかった。まさかこんな…夏の岳斗先生が脳裏に浮かぶこの音楽(FOI)で、涙するとは思わなかった。

彼女の指先に止まった蝶が見える。蝶は体に止まり、彼女はそれを追いかけ、戯れ、最後に飛び立つ蝶を見送り手を振る。彼女があのSPで演じてるのは、物語でもドラマチックな音楽でもなくて、日常のそんな、ちょっとした出来事。例えばタイトルを付けるなら「夏のある日」みたいな。「避暑地で」みたいな。そういう事を表現して、3分間魅せてしまうって、素晴らしい表現力だ、と思う。ただただ、美しい。そして、その何気ない「日常」こそが、彼女の最後のプログラムとしてふさわしい、と感じてしまう。最後に振られる手は、美しいが、別れを告げられているようで、辛い。辛いけれど、彼女のここまでのキャリアを思うと、ここに来られてよかった、と心から思う。怪我でナショナル欠場するとか。五輪は、万全の状態で挑めますようにn>

GPFにして、私はようやく、羽生結弦があのロミオとジュリエットでやりたい事、がわかってきた気がします。なんかしっくりこない、つまんないとかいって、正直すまんかった。ついでにこの人が演じているのはジュリエットなのでは?とか言って、マジですまんかった。2年前のロミオとは、全然違います。相手がちゃんと見える。

シーズン始めに「ジュリエットはバルコニーにいるって言われてるので、それが見えるようにしたい。リンクではそれが、ちょうど客席のあたりになるから、客席にジュリエットがいると思って」みたいなことを言ってて、何この子…怖い!!!!!とマジ震えたんですけど、今回のGPFで初めて、手を差し伸べた先にジュリエットが見えました。(not客席)ジュリエットの手を取って逃避行するような雰囲気も出てきましたし、なんとなく、ジュリエットを守るような感じもあって、それでいて突っ走るような若さもあり、素晴らしい事です。佐野先生は相変わらず居酒屋でプロ野球を見ているおじさん、でしたけれど「バックアウト、カウンターからのトリプルアクセルゥゥゥ!」は思わず笑ってしまいました。今年度、声に出して言いたい日本語ナンバーワン。

 GPFは、現地で観戦はできなかったのですが、リンクで起こったことを考えると、やはり、無理してでも出かけて行く努力をすべきだった、と思います。同時に、客席ではいろいろと残念なことが起こっていたようで、それが本当に、悲しいです。

ジャッジはその仕事を全うしていると思いますし、何より、彼らがあまりおかしな事をしていない、という事は、正しく情報を選択していけば理解できる事のように思います。採点競技ですから、自分の見た印象と点数が違う、という事は有り得るでしょう。必ずしも一致しなければならない、というものでもないと思います。私たちは観客で、ジャッジではないんですから。ジャッジ資格も持たない観客が、ジャッジ席でもない場所(最悪テレビの前で)で演技を見ながら、「公正な採点」が出来るほど、フィギュアスケートは簡単な競技ではありません。だけど、フィギュアスケートの魅力は、選手の演技そのものにあるわけで、わからないならわからないなりに、観客はそれを楽しめばいいんだと思うんです。

そりゃあ、ジャッジも人間ですから、ミスをすることもあるかもしれない。人間なんですから、「主観」と呼ばれるものだって持っているはず。そういうものが、無いとは言わない。だけど、だからこそ、ジャッジは資格職である、ともいえます。自身が主観に左右されず、客観的に技術を見ることができるように、その資格を持っている、と認められるだけのことを、彼らはまず、している。あの席に座っている人たちは。その人たちと自分たちを比べて、自分たちの方が公平である、と何故思えるのか。自分たちの方が客観的である、と何故思えるのか。正直、わたしにはさっぱりわかりません。少なくとも観客としての私は、同じ観客の「採点」よりもジャッジの下した「採点」の方が信用できます。

バンクーバあたりから、いわゆる陰謀論まがいの論を講じるスケートブログ、というのがたくさん出てきて、検索すると一番上に引っかかってくるようになりました。ソースが不確定な情報や、思い込みの詰まった記事を、また別の人がソースにして、というのを繰り返して、なんだか今、とてもひどいことになってるように思います。

それは、有識者と、そしてそれを伝えるマスコミの伝え方の問題でもあります。

「公正なジャッジではない」という論調や「いんぼーろん」のようなものを放っておきすぎたのはやっぱり良くなかった。どんなに話しても、そういう考えを変えない人はいるし、声高に訴える人はいるので、その人に対しては、相手にしないで正しいんだけど、それらに触れる人たち、の事をもっとちゃんと考えて対処するべきだった、と思います。今からだって、やってほしい。

連盟は、当然「注目を集める事」も大事に考えていたと思うし、実際そっち方面では、今の状態は「成功」と言える。

でも、その時の弊害をあまりにも考えていなかったんじゃないか、甘く見すぎてるんじゃないか、と思うことがあります。何年たっても、これだけテレビの放送があっても、ちっともルールは浸透せず、スポーツ新聞に「ルールをもっと分かり易くしろ」なんて記事がでる始末。知っている人間は、鼻で笑ってしまうような論を、知らない人はまじめにやっちゃう、というような事を、きちんと理解して、誤解を解く作業をするべきだったんじゃないか。それらはすべて、自分の見る目をゼロにして、プロトコルを見れば、有料チャンネルの解説を聞けば、理解できるような事なんだけども、その入り口にたつ人に向けたプロモーションは、相当不足していた、と思う。

 採点に疑問を持つな、という話でもありません。ジャッジと自分は違うんだから、採点に疑問が出ることもある、と思います。でも、あれは競技で、有資格者がジャッジ席に座って採点する、というルールなんです。それが公平である事、公平性・透明性を高める努力をしている事をもっときちんとプロモーションすべきだったのではないかと思います。ジャッジが正しいかどうか、は、ジャッジを正しいとするというルールなので、都市化言いようがありませんが、正しくある為の努力もされ続けけていると思いますし、正しくある為の方法もとられていると思います。それは、ただ一人の選手の為ではなく、競技全体と、すべてのレベルの選手の為に。

とりあえず、私は、ジャッジシステムを支持する、という事を口に出していきたい。支持する、応援する、というのは普通だし、と思って口に出さないでいると、なんだかみんな、「ジャッジは公正じゃない」と思っているかのような、そういう印象に組み込まれちゃいそうで怖いので。