フランス杯も終わってしまったのですが

この週末は、仕事が立て込んでおり、フランス杯をリアルタイムでは追えませんでした。GPSは、出来る限りその週末に見たいので、とても残念。
とりあえず、家族が毎週録画している「朝のテレビ朝日」で偶然録画されていた男子シングルFPの最後の3人を見ました。個人的には、カップル競技、はよう(CS放送)と言う感じです。
 ところで、今日の地上波放送は羽生結弦のFPについて「2011年にアイスショーなどで使った曲」と紹介していました。……ち、ちがいますよね。題材は確かに「ロミオとジュリエット」で一緒ですけれど、メインで使っている曲は全く違いますから、それは「同じ曲」と紹介してはいけないのでは、と思います。強いて言うなら「同じ」なのは1968年の映画版と1996年の映画版が同じ原作を使った事であって、それぞれのサウンドトラックから作られたプログラムを、「同じ曲」と紹介するのは、それはちょっとむちゃくちゃです。映画としては監督はもちろん違いますし、リメイクでもありません。そもそも、作曲者も違います。それを、「同じ曲」であるかのように紹介するのは作り手に大変失礼だとも思います。しかも今回は、「アイスショーなどでつかった」という言葉がはいる事によって、2011-12シーズンの競技を見ていた人でも「アイスショーではこちらを使ったのかな?」という誤解を与えてしまいます。実際、家族はそのように誤解していました。私は、使っていた記憶はないんですけれど、使っていたのでしたっけ?
 シーズンの始めに「アスリートの輝石」という番組で羽生が紹介された時はもっと酷くて「2011年、震災を乗り越えて世界選手権でメダルを取ったという思い入れがあって、特別この曲にした」ということを再三伝えていました。「同じ曲」であるかのような言い方で。選手本人に、思い入れがあるのは事実でしょう。そう語っていましたし。でも同時に、選手は「違う曲なので」という趣旨の事も語っていたと思います。そこを無視して、「同じ曲」っていうのはいささか強引です。そう言う嘘を、ドキュメンタリーで伝えてはいけません。放送に対する信頼性がなくなってしまいます。笑ってしまったのは「普通は2シーズン前の曲をつかうことは稀である」などと紹介していた事です。…そんなことも、ないですよね…。
 こういう、テレビの、強引な話の持って行き方をみていると、どうしたって「震災を乗り越えて五輪を目指す」という物語を作りたいんだな、と邪推してしまいます。このFPが同じ曲ではない、と言う事は、ちょっと調べればわかる事ですし、テレビ朝日に至っては2011-12シーズンもグランプリシリーズを放送していたんですから、スタッフ、実況のアナウンサーがその事を認識していないとも思えません。なのに、「同じ曲を使っているかのように伝える」のは何故なのか。その事を思わず考えてしまいます。
 もちろん、羽生選手が震災にあった事は事実であり、その為に出来なかった事、悩んだ事、苦しんだ事も沢山あったと思います。それはもう、事実です。それがある種の人たちにとって物語になる事も否定しません。また、物語になる事で、今なお震災の影響がある場所に支援の目が向けられるのならば、それも悪い事だとは思いません。選手さえ許すなら、いくらでもやってくれ、いいぞもっとやれという気持ちです。だけど、事実をねじ曲げてまで、そこに絡めて強引に話を進めるのは、それは、いくらなんでも変です。それは、結果的に「嘘」になってしまうので、実況や放送が「嘘」を伝えてる事になってしまいます。そうすると、先に書いたように、放送に対する信頼性が失われてしまいます。
私が気にしすぎているのかもしれませんが、ずっと、気になっています。