「誰が、何を、どういう風に好きか」ということについては、もう、放っておいて欲しい、と思う。
対象が何であれ誰かの「好き」という気持ちを、コンテンツとして消費してもいいと思ってることがとても嫌だ。誰かの「好き」を尊重して大切に扱えば素敵なメッセージなのに、そうはならない。コンテンツとして考えるなら「面白い」方を取らざるえないから。
誰が、何を、どういう風に好きか、なんていうのは、放っておけばいいと思うんだよ。コミュニケーションの中でそれが顔を出したら「素敵ね」ってなるけど、「誰が何をどういう風に好きか」を面白いから話を聞いてみんなで眺めましょうってなったら見世物じゃねえよ、って思うよ。