welcome back! Gracie Gold
GPSのロシア杯。ライブストリーミングでグレイシー・ゴールドの演技を見ました。
昨シーズンが始まった頃にうつ病、不安症、摂食障害を公表。五輪シーズンは試合に出ることのなかったグレイシー。この大会は、彼女の復帰戦でした。
彼女が、インタビュアーに「このスポーツは痩せてる人のスポーツで、今の私はそうじゃない」という趣旨のことを口にしたのは、2シーズンほど前のことだったでしょうか。インタビュアーは「あなたは十分に痩せている」と返したはずです。
彼女が全休を発表する前のオフシーズン。ショーに出たグレイシーの写真に、様々なことを言う人がいて、私はそれが、本当に嫌でした。他人の姿形をジャッジしてあざ笑うことを受け入れれば、人は永遠に、その視線から逃れられなくなります。
誰かの目線でジャッジした姿形に、自分の価値観を当てはめなければならなくなります。
そして一度、自分の姿形を否定しまった後、それを肯定するのは、とても、とても難しいことだと思うのです。少なくとも、私には難しい。
グレイシー・ゴールドのショートプログラムは、ジャンプはダブル、シングルアクセルになるなど、以前の彼女からすると、不本意なものだったかもしれません。
だけど、月並みかもしれませんが、勇気をもらいました。
立ち上がって、美しいものに手を伸ばそうとする、その姿がもう、美しかった。
自分の姿形が、あらゆる方法で自分の望む形ではない、と感じることや、社会の中で価値のない姿である、と思わされることはとても惨めで苦しいものです。
「私は」ずっとそれで悩んできたし、今でも苦しい。何より苦しいのは、美しいと自分が思うものや素敵だと思うものに手を伸ばすことすら諦めてしまうことです。釣り合わないと勝手に考えて、諦めてしまうことが多くありました。美しいものを美しい、と言えないことがありました。身に付けるものはもちろん、美しいものを好きだ、と言うことさえ躊躇われる、と言うことがありました。理屈ではなく、言えない、のです。
でも時々、そういう葛藤を抱えていることを明かしながら、美しいものに手を伸ばす姿を見せてくれる人がいます。私にはそれ自体が大変な勇気だと感じます。
だから、その姿に、勇気をもらってしまいます。美しいものを、美しいと言う勇気を。美しいものに手を伸ばす勇気を。何より、自分自身が美しくあろうとする勇気を。ここで言う、自分自身が美しくあろうとする勇気、と言うのは、自分が、自分である、と言うことです。
自分が、自分のために、好きなものを身につけ、やりたいことをやって、好きな場所に行く。そう言うことをしている自分を、笑わない。絶対に。
私はそれが、とても美しいと思う。
私にとっては雨宮まみさんの書くものがそうで、今日のグレイシー・ゴールドがそうでした。
私に勇気を与えてくれた彼女たちが、どう言う葛藤を抱えているのか、実際のところ、私にはわかりません。だから、あくまで、わからないことを承知の上で、ただただ、彼女たちが美しくて、胸をうちます。
おかえりなさい、グレイシー。あなたのスケートをまた見られて、私は、本当に、嬉しいのです。